ひこちゃん 現住所/山形市 :山形市木の実町9-11

自己紹介
私は、創業昭和8年の鮮魚店の三代目のひこちゃんです。先代も宴会場を持ち、魚を食べさせたり、宴会から結婚式までやってたそうです。でも、二代目になり方向転換して病院の納めが、中心になりました。それをもう一度元に戻し、先代が言ってた「食べさせる魚屋」を目指して頑張っています。人間の手がまったく加わってない神よりの贈り物である天然ものにこだわって、あまり手をかけずにシンプルに素材を味わってもらいたい。(新米を何で食べるかのように)もちろん鮮魚店のほうも営業してます。鮮魚を売るばかりでなく、焼き魚・フライ・煮魚などに加工しても販売してます。当店で買っていただいた魚は、サービスで刺身・焼き魚・揚げ物にしてあげます。刺身は、2~3切れから盛り合わせまで、予算に応じて作ります。前もって予約してもらうと助かります。焼き魚や揚げ物も時間に合わせて作ります。
このように頑張ってますので、今後ともよろしくお願いします。

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かねひこ鮮魚店

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ひこちゃんさんの新着日記

2014/07/25 17:22:30
幼少時、酒を飲み、何を食べていたんだろうか?
午前中は、思わず数字の発見をしてしまい、横道にそれてしまいましたが、本題に戻ります。わたしの記憶では、先代が亡くなったこと、先代に毎日のように自転車に乗せてもらって霞城公園に行ったこと、夜になると飲食のお客様が来て、先代のひざの上で、毎日のように、これらのお客様を受け入れていたこと、などを、思い出します。先代のことばかりで、両親との小さい時の思い出が、でてきません。これらのことは覚えてます。だとすると、2~3歳ぐらいからの記憶がわかるのかなあ?とにかく体の弱い子で、母乳は飲まず吐き出し、粉ミルクもほとんど、口に入れない子で、何を食べているんだろうと思うほど、食べなかったそうで、がりがりで、立つのも、歩くのも遅く、しゃべるのも2歳過ぎてからと、ほかの子と比べるとかなり遅かったそうです。そのわりにおしゃぶりは4歳ぐらいまで、離せずにいたそうですが、これもしゃべれなかった原因の一つかなあ。とにかく小さい時より、毎日の医者通いの生活で、薬をいっぱいもらい、薬中毒になってしまい、もう効く薬がないというまで、飲んでたそうです。これではダメと一念発起して、薬をやめ、添加物にも極力注意を払い、素材中心の食事に変わっていきました。母親もかなり勉強したと思います。なので私にとって、薬は麻薬同様危険な物です。なのでほとんど飲みませんし、飲む時は死ぬ時と覚悟すると思います。ある時、私が朝目覚めて、泣き止まない時があり病院に連れて行かれたことがありました。この診断が二日酔いではとのこと。医者いわく「今迄で最年少の二日酔い患者」だ、と言われた時があったそうです。ミルクを飲まず酒を飲み、あまりごはんも食べずに一体何を食べていたのか?酒の肴かなあ?こんな幼少時だったそうです。もう体が弱かった理由が、この文章から見てもわかりますねえ?

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