ひこちゃん 現住所/山形市 :山形市木の実町9-11

自己紹介
私は、創業昭和8年の鮮魚店の三代目のひこちゃんです。先代も宴会場を持ち、魚を食べさせたり、宴会から結婚式までやってたそうです。でも、二代目になり方向転換して病院の納めが、中心になりました。それをもう一度元に戻し、先代が言ってた「食べさせる魚屋」を目指して頑張っています。人間の手がまったく加わってない神よりの贈り物である天然ものにこだわって、あまり手をかけずにシンプルに素材を味わってもらいたい。(新米を何で食べるかのように)もちろん鮮魚店のほうも営業してます。鮮魚を売るばかりでなく、焼き魚・フライ・煮魚などに加工しても販売してます。当店で買っていただいた魚は、サービスで刺身・焼き魚・揚げ物にしてあげます。刺身は、2~3切れから盛り合わせまで、予算に応じて作ります。前もって予約してもらうと助かります。焼き魚や揚げ物も時間に合わせて作ります。
このように頑張ってますので、今後ともよろしくお願いします。

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かねひこ鮮魚店

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ひこちゃんさんの新着日記

2016/04/12 16:57:51
あがり症、ドモリを克服しようと、背水の陣で臨んだセールス時代。
大学を卒業して、私の思い通りの所に就職して半年、もうこの時点では弟が家を継ぐという事で、私は身を引いた形での就職でしたが、突然弟の「家を継がない宣言」、この段階でもまだ商売をやりたい気持ちは薄れてなく、その現在やっている仕事、「マイクロホンの設計開発」のほうでしたが、この仕事では一生やっていけないという感じで、もう一度人生をリセットしようと、スパッと、後先を考えずに辞めてしまった時期でもありました。でも弟のこの宣言がなくても、ここはやめていたと思います。アルバイトで食いつなぎながら、いろいろ考えて出した結論、まずこのあがり症、ドモリを何とか克服しないとというもの。このため、私が一番やりたくないものをしようと始めたのが、セールスの仕事、どうせするなら厳しいほうがいいという事で、固定給なしの歩合制の物を選んで、背水の陣で行こうという感じで始めました。これを最低でも一年続けられたら、家を継ぐ資格あるんじゃないかなあという気持ちで必死にやりました。もし出来なかったら、私もきっぱり諦めようという覚悟のもと、もし出来なかったら継げないんだと、自分に活を入れて頑張りましたねえ。最初の30日間は保証があり、これが過ぎると自分の力だけで、一つも契約を取れないと、一カ月タダ働きの世界で、今の状態と、ほぼ同じ気持ちの中頑張ったことを思い出します。最初の頃はドアの前に立つと、自然と震えが出て来て、声も上ずったり、言葉が出なかったりで、もはやセールスする以前の問題でしたねえ。でもこんな事にもめげずに、ドアをノックして回り、20日目ぐらいでやっと、基本トークが話せるまで持って行った状態ですが、ここから契約までこぎ付けるまでも、また20間ぐらいかかったと思います。本当に最初の契約獲った時には、涙がこぼれて、止まらないほど嬉しかったですねえ。最初の一カ月は給料なし、二カ月目は10万弱ぐらいいったと思いました。これを始める前、3か月分ぐらいのお金を確保してましたが、3か月やっても契約ゼロでしたら、別のに挑戦しようと思ってましたが、なんだかわかりませんがなんかコツをつかんだみたく、3カ月目からは、ある程度安定した最低限の収入は確保できてましたねえ。やはり、固定給がない分、1本とると、このバックは大きかったですねえ。いろいろな商品があり、一番安いので1本とって4.8万だったと思います。他に10万、20万、50万、80万円バックなるものもなど、いろいろありましたが、私は欲張らず一番安い物をコンスタントに6~7本はとれるようになっていきました。またセールスする地区によっても、相性というか、とれる地区はメッチャとれた所もあり、月に20数本120万ぐらいとった時もありますねえ。これが最高かなあ?でも気分というか、気持ちの動きで取れない時は全然とれない時もあり、セールスのむずかしさも知りましたねえ。これをやってわかりましたが、結構第一印象がよく、入りはうまいですが押しが弱く、契約を逃すことも多々ありました。まあ、今でも年賀状の付き合いがありますが、私と全く逆のタイプの人がいて、彼と組んで、20万、50万のコースも結構売りましたねえ。でも、この50万のコースの物を月の前半に2本ぐらいとってしまうと、気持ちがなえてしまうのか、その月は全然、あとは契約なしという時もあったなあ。本当に気持ちの調整は難しかったですねえ。結局、この仕事3年ぐらいやったかなあ?かなりの自信も付けたのが、この3年間かなあ?

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