時森 ししん

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時森 ししんさんの新着日記

2011/03/15 23:59:07
生きていた!
自分の母の実家のある宮城県女川町『出島(いづしま)』
その小学校に書かれていた『SOS・水と無線』の字。
その島で店(米、酒、薬)を営み、暮らしていた叔母とその長男フー。
そのフーの妹ケイは、2人の小さな子どもと一緒に、石巻市で暮らしていた。
正直、被災地としては、どちらも激しい津波だったので、時が過ぎると伴に、『駄目かもしれない!』と、思いはじめていた。

ところが、生きていた!
母は泣きくずれていた。


ケイは、小学校のヒナタと幼稚園のヒデミを連れ、車ではなく、歩いて小高い場所にある小学校に行ったそうである。
車は渋滞で、車で向かっていたら津波に飲み込まれていたそうだ。


自分の弟の息子と、ケイの息子ヒデミはすぐに仲良くなった。
この笑顔が失われなくて良かった。


夜、食事に行ったガトーフレーズのスタッフ。


今朝まで避難所にいたケイの子ども達に、ガトーフレーズの社長達は、生キャラメルをくれる。



しかし、ここ数日で店のケーキは何もなくなったそうだ。
地震の被災者や、福島県の被爆不安な人々は、山形県に逃げてくる。


そんな中で、売るものがなくなってきた。
物資が山形にもなくなってきている。


美栄子知事と話してきたが、とにかく情報やら要請やら、たぶん数千の判断を求められている。


話しているうちにも電話が何本かきている。


自分の叔母は、明け方には石巻の避難所から山形につくだろう。

従兄弟のフーは、メールで『母と、妹と子供達をヨロシク!自分は人でも足りない石巻の避難所に残り、自分がやれることをやります。アニキ達あとはヨロシク頼む!』
凄い、俺と弟は顔を見合わせた…。
俺達にできるか?
ケイから聞くと、初日は何も配給なし。
二日目は、朝と夜に、ひとりビスケット一枚ずつ。
水がなく、子ども達は脱水症状の為、吐き気を繰り返す。
三日目、やっと毛布が一枚ずつ配られたとのこと。
それでも、友人や子ども達は、目の前死んでいった中で、生きているだけでも…。
フーがもどり、みんながまた一緒に、鍋でもつつき合える日が、一日も早く来ることを信じたい。

元記事:http://ameblo.jp/stokimori/entry-10831947435.html

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