時森 ししん

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時森 ししんさんの新着日記

2022/08/19 22:33:20
鹿野道彦元農林水産大臣〜新盆のお参りに伺う。
昨秋、元農林水産大臣の鹿野道彦氏が逝去された。

自分の父は山形大学の学生の頃から、道彦氏のお父上の鹿野彦吉代議士の秘書を務め、県議会議員になってからも、「鹿野彦吉秘書」と、名刺に記していた。

山形第二中学校(現山形南高校)の2年生の時に父親(元山形警察署長)が他界し、その数年後に出会う鹿野彦吉代議士は父親のような存在であった。

病気療養中の彦吉代議士が73歳でご逝去された時(1978年2月18日)、受験の為に東京滞在中の自分と、出張で東京に来ていた父は、新宿で夕食をとっていた。
(鉄板焼きか串焼きだったか…)
途中、電話をかけに席を立った父。
席に戻った時、「オヤジが亡くなった…」「俺にとっては本当のオヤジだった」と寂しそうに話していたのを覚えている。


その後、生涯を通して、彦吉代議士の息子である鹿野道彦氏を、一度もブレずに支えていた。




そんなご縁の中で、自分の仲人でもあり、元農林水産大臣の鹿野道彦氏が、昨年の10月21日に逝去された。


あっという間に、1年が経つ。




今年は新盆となり、盆入りの前の8月11日、鹿野道彦氏のご自宅へお参りに伺う。


奥様の充子さんと、いろいろな話をして、昔を振り返る。


自分と充子さんとの出会いは、結婚前の鹿野道彦氏と父を頭とする彦吉代議士の秘書団5、6名に、小学4年生の自分も加わり、大阪万国博覧会へプチ旅行に出かけた時であった。


充子さんは、日本パビリオンでコンパニオンをしており、英語もペラペラだった。

そこで、秘書団へ充子さんが紹介されたのである。

自分は、唯一の子どもだったので、役得で、充子さんが付けていた、日本パビリオンのバッジをいただいたのである。


その後、お二人は結婚され、3人のお子さんを授かったのである。




鹿野道彦氏と対峙して、いろんな事を話し合い、共有できるようになったのは、自分の父が亡くなって10年くらい過ぎたあたりであろうか。


私が20代の頃は、小学生の時からずっとそうであったが、「お兄ちゃん!」と呼んでおられた。

32歳でケーブルテレビ山形を設立してからは、よく会社に来られて、「専務、甘いもの食べさせて!」と言われ、アーモンドチョコレートを買ってきて出していた。


父が亡くなり、40代の後半からは、政治や経済など、様々なことを話してくださった。

ちょうどその頃は、民主党が政権を取り、農林水産大臣に就任なされた頃である。


上のツーショットは、その頃の写真である。



以前は、安倍晋太郎氏をオヤジとして仰ぎ、中川一郎、三塚博、森喜朗、石原慎太郎、小泉純一郎の各先生方を兄貴分としていただき、まさに自民党の清和会のプリンスと呼ばれ、いずれは内閣総理大臣と期待されていた鹿野道彦氏。


しかし、二大政党を理想に掲げて、小沢一郎氏や羽田孜氏などと呼応して自民党を割る。

そして、新進党、民主党へと進んでいった。


その選択が、正しかったのかどうかは、歴史が語ってくれるだろう。




昨秋の葬儀の写真である。


葬儀委員長の鈴木隆一でん六社長。

葬儀副委員長の千歳貞治郎愛山会総括。

同じく葬儀副委員長を仰せつかった自分。




そんな溢れる思い出と、鹿野道彦元農林水産大臣の歩まれた道を、最近、様々な方々と話し花が咲く。


良い思い出もあれば、苦い思い出もある。


鹿野彦吉元経済企画政務次官、自分の父・吉村和夫元山形市長、そして鹿野道彦元農林水産大臣。


3人が鬼籍には入られた今、彼らが思い描いた日本、そして山形県の未来を、真剣に考えていかなければならない…。


もうすぐ、一周忌である。




元記事:https://ameblo.jp/stokimori/entry-12758283009.html

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