時森 ししん

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時森 ししんさんの新着日記

2025/01/04 21:38:17
念願の『出島大橋(いずしまおおはし)』開通に思うこと。

宮城県女川町の離島・出島と本土を結ぶ「出島大橋」が、2024年の12月19日に開通した。


45年の歳月をかけ、出島についに念願の橋がかかったのである。




89歳の自分の母は、この島の出身。


震災前、母の実家は、出島唯一の、郵便局、薬局、酒屋、食料品店など、当時は800人が暮らす島の経済の拠点であった。


また、代々にわたり、出島と女川の巡航船の離発着を請け負い、船が運ぶ、島の暮らしの命綱ともなる生活物資を取り扱ってきた。


自分も子どもの頃、祖母の店番をしていると、船の汽笛が鳴り、叔父叔母達と桟橋に走っていき、着く船の縄の輪を受け取り“繁留ボラート”にかけていた。




45年前の1979年、出島に架橋促進期成同盟会が設立された。


まだ大学生だった自分の記憶だと、当時は「女川原発」によって海水温が上昇して、生態系が変わってしまうとか、もしもの時のリスクヘッジに橋をかけるとか、小さい離島の中がテンヤワンヤの騒ぎになっていた記憶がある。


自分の曽祖父木村文吉は、島からの唯一の女川町会議員で、政治的には島を代表する家だった。

一方で、現在の女川町長の須田善明氏の縁戚の出島須田家も代々政治的な家であった。


木村家は祖父の木村文雄の時代で、文雄は島の自然や風土をこよなく愛し、水産業や風土の変化を嫌っていた。

家業を継いだ、自分の叔父の木村宏と、出島の未来について、熱く語り合っていたのを記憶している。


東北大学出身の木村宏は、島の若者達のリーダー格で、自分から見てもとても魅力的な人であり、店が終わると夜遅くまで、島の若い衆(青年団)たちと語り合っていた。


現在の須田町長の県議会議員選挙の時も、出島の責任者になって、二人三脚で頑張っていたのを覚えている。


その叔父は、2004年、突然天に召された。

数日前から、頭痛があったというが、夜中、急変した。

船を手配して、島の仲間たちが、夜中海を渡って病院へ。


しかし、帰らぬ人となってしまった。

その後の出島には、なくてはならない人であったと確信している。


急病の時、橋があったら…と、思う人も多いかも知れない。





その後、無情にも、2011年3月11日に東日本大地震が起こる。


母の実家も木村商店も、すべて失われた。

叔母が逃げながら高台から撮った写真である。


この四半世紀で、出島を取り巻く環境は、大きく変わった。




「女川線、出島大橋」の建設は、間違いなく東日本大地震が後押しをしたと思う。


東日本大地震のすぐ後の女川町長選挙に立候補した須田善明町長。


その後女川町長となり、山形県の吉村美栄子知事と一緒にダイバーシティメディアのトーク番組に出演され、「女川町の未来の為に、復旧、復興に全力を尽くす!」と、力強く話していた。




全長364メートルの出島大橋。


現在は約90人となってしまった島民の、利便性の向上や、災害時の避難道路として使われる予定とのこと。


また、産業支援や観光振興の活用にも、期待されている。




大橋から眺める出島。


曽祖父、祖父、叔父が、この光景を観たら、なんと思うだろうか?

この島が大好きだった父の吉村和夫も、なんと言うだろう。


母が元気なら、是非、連れて行きたいと思っているのだが…。




今では、叔父の木村宏の仕事を継承している叔母の洋子。


震災後は、山形市の自分の母のところに一時的に身を寄せていたが、暫くすると出島に戻って行った。

「私には、島の人達をの暮らしを守る仕事がある」と話していた。
責任感と意思が強い方であるのだ。

巡航船の運行は、2025年3月末までとのこと。
そこまでは、やり続けるらしい。



ダイバーシティメディアでは、これまで女川町や出島を、「to Revive」という震災復興番組にて取り上げてきた。


今回の写真の多くは、開通セレモニーを取材したディレクターの鈴木淳予さんからいただいたもの。


これから、様々な番組で、この出島大橋を取り上げる予定である。



時は過ぎ、時代は変わる。

自分も、出島の血を受け継ぐ者として、しっかり未来を見届けて行きたいと思うのである。




年末の連休中に、録画していた「海に眠るダイヤモンド」というドラマ全10話を一気見した。


軍艦島という長崎県の離島が舞台である。


70年前の島の日常の暮らしと、その島に誰もいなくなった現在が、交互に映し出されてシンクロしていく。


面白すぎて、目が離せないドラマだった。


宮本信子さんが、現在は80歳を超える高齢者で、軍艦島出身の元島民を演じている。


母とダブって見えた。

母も、島を出てからも、島を愛し続けており、衣類や季節のものを、いつも送っていた。

また、出島の学校には、ずっとピアノが無かった。

父と母が、贈ったピアノが今でも出島の学校にあるという。


過去の出来事や願いや思いは、いつしか忘れられていくのかも知れない。

諸行無常である。


しかし、そこにその人達が存在し、日常があったという事実は、未来永劫変わらぬ事実であると思うのである。


出島の未来に、幸あれ。



元記事:https://ameblo.jp/stokimori/entry-12880636077.html

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