時森 ししん

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時森 ししんさんの新着日記

2025/03/20 21:57:21
42年ぶりの祖父母の墓参り!…出島大橋を初めて渡る。

3月17日(月)と18日(火)の両日、宮城県の塩釜市、松島町、女川町へ出かける。


各地でのアポイントがあり、東日本大地震以来の、久しぶりの訪問となる。


今回は、出張に合わせて、昨年末に完成した出島大橋を渡り、母の実家の出島にも伺うことにした。


42年ぶりの、出島である。

万感の思いがある。




自分の母親の実家は、宮城県女川町出島。


そこで、代々、お米、塩、お酒、薬、野菜や果物、お菓子や日用雑貨などを扱ってる木村商店が、母の生家である。


木村商店は、まさに島の経済の中心であり、以前は特定郵便局もしており、島民の唯一の連絡拠点にもなっていたのだ。


東日本大地震で、母の生家である祖父母の家も、木村商店も、すべて流されて何もかも無くなった。


しかしそれ以降も、一人で出島に残った叔母さんが、代々木村家の役割である出島の船着場の管理を、今も行っているのだ。




山形県の天気は、雪から曇り。

宮城県に入ると、空は青く、天気であった。


自分は、32歳でケーブルテレビ山形を設立以来、バーチャルシティやまがた、ムービーオン、山形コミュニティーデータセンター、パスラボ山形ワイヴァンズなど、仲間たちと多くの会社を立ち上げてきた。


仕事だけではなく、父親の山形市長選挙、弟の山形県議会選挙、従姉妹の山形県知事選挙なども続き、忙しさにかまけて、祖父母や叔父の出島での葬儀や墓参りにも参加できず、自分は不義理を重ねる祖父母不幸者であった。


その都度、母親が、わが家を代表して法要には参加していた。


しかし、その母親も今では89歳で寝たきりとなり、記録を見ると、この6、7年は祖父母のお墓参りには行ってないのだ。


自分の心の中には、42年分の積年の罪悪感と、祖父母や叔父が元気な頃の出島の暮らしの懐かしさと、東日本大地震の悲劇が合い混ざって、様々な思いが溢れ出していた。


そして、同じくらい、出島と再会する喜びも大きい。




坂を下ると、以前とはまるで違う女川町が見えた。


よく祖父や父と行った、レストラン「美苑」

港町の街並みは、ほとんど残っていなかった。


それでも、42年ぶりの女川の町の海風は、気持ち良かった。




昨年の12月19日に、女川町と出島を繋ぐ出島大橋が開通した。

初めて車で出島へ渡る。
これまでは、巡航船で出島まで行っていた。



橋を渡る瞬間、大粒の霰(あられ)が降り注ぐ。


「遅い!やっと来たか!」と、祖父母から怒られているような気がした。


しかし、数秒後、出島に着くと、すっかり霰は止み、空は青く晴れたのである。




皆で復興住宅にお邪魔し、そこに住む叔母さんと話す。


ダイバーシティメディアの復興番組「to Revive」では、何度もご出演いただいた叔母さんである。




以前、母の実家の木村商店と倉庫、そして母屋があった場所に案内していただく。


当時の面影は何一つなく、叔母が船着場の仕事場として使う仮設プレハブが建っていた。




海の色は、42年前と何も変わっていないのに、島一番の中心部の賑わいは、まったく無くなっていた。


静かな、とても静かな出島である。




高台にある、木村家の菩提寺に、妻と長男と一緒にお参りをする。


叔母さんも同行してくださった。




お墓の木々の間から見える海と出島大橋。




叔母さんは、島の貝や石に絵を描いているそうだ。

色鮮やかで、とても綺麗である。




その隣に、元気だった母が、7年前に持参した着物が置かれていた。


叶わぬことだが、元気なうちに、母をもう一度、ふるさと出島に連れてきたかった…。




今では、代々続く木村家を守り、船着場の仕事を一手に担う叔母さん。


その叔母さんの仕事も、この3月いっぱいとのこと。




出島に、一日3回往来する巡航船。


この日は、人も物も、ゼロであった。

「橋ができるということは、こういうことなんだね。」と、叔母さんが語る。




小さい頃によく行った、小高い山の中にある神社。


津波はそこまで達しなかったようで、健在だそう。




42年ぶりの出島。


小学生の夏休みは、約1ヶ月間、この島に滞在し、釣りをしたり海水浴に行ったり、祖母の側で店の手伝いをしたり、叔父達と配達に行ったり、思い出がいっぱいの島である。


夕食は、ホヤ、アワビ、ウニ、ネウ(アイナメ)、ヒラメ、タコなどが食卓に並び、毎日食べていた。


昨年、ドラマ「海に眠るダイヤモンド」で、以前の繁栄していた軍艦島を見た時、活気があった頃の出島を思い出した。


自分にとっては、祖父母と叔父の墓参りができたことは、大袈裟だが、人生の節目となった。


ずっと、心に蓋をしていた最大の願いであった。

今回、行ってみて、それが分かったのだ。


週末、母に報告するつもりである。

出島に行って、良かった…と。



元記事:https://ameblo.jp/stokimori/entry-12890347712.html

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