時森 ししん

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時森 ししんさんの新着日記

2025/05/13 14:10:32
自分たち家族が暮らした煉瓦の家(吉村邸)の解体工事が始まる。

自分が15歳の高校1年生の時、父と母が夢に見たマイホームを、山形市のあさひ町に土地を求め建設した。


今から約50年前のことである。


父が、山形県議会議員に当選して一期目が終わる42歳頃だったと思う。


母にとっては、宮城県の女川町出島から、誰も知らない土地に嫁に来て、長い借家住まいを経て、やっと自分の家を持てたことは、喜びもひとしおだったと思う。


弟の和武は当時2歳で、この家で大人になった。


自分も、高校、大学、社会人、そして結婚し長男を得たのもこの家であった。


父と母や、家族の思い出が至る所に染み込んでいる大好きな家である。


朝は、母が煎るコーヒーの香りがキッチンから溢れ出し、2階の階段あたりまで広がる。


父は、祖父母の月命日となると、仏壇でお経を唱えていた。


ほぼ毎日、自分の部屋の真下にある客間での、お客さんと父の話し声で、自分は目が覚めるのだ。

早い時は、朝の6時前からお客さんが来ていた。


そんな、裸一貫から、国会議員秘書、県議会議員、そして山形市長と、「一志如鉄」「分甘共苦」を信条として生き抜いた、父の人生が刻まれた家である。


どれだけ多くの人々が、この家を訪れただろう。

多い時だと、1日に数百人の時もあった。


自分が高校、大学時代は、この家が最も活気があり、皆が輝いていた時であった。




父が亡くなって20年以上が経ち、母もこの家を離れて10年が過ぎた。


その間、自分の長男の和康は、結婚して子を授かりアパートで暮らしているが、弟の和武とも相談し、母の了承を得て、この吉村家にとって大切な場所に、新たに家を建てることになったのである。





父と母にとっては直系の初孫の和康は、二人からとても可愛がられ、幼少時は様々な所に連れて行ってもらった。


彼がこの地に住むことに、天国の父も喜んでくれると思う。




5月7日(水)、里の宮「湯殿山神社」の渋谷宮司より執り行われた、この家への「報恩感謝の儀」と解体工事の「安全祈願祭」には、自分たち家族と、市村工務店の市村清勝会長と今野雄貴社長、井上工業の井上洋輔専務等が参加した。


渋谷宮司の祝詞には、父と母の歴史が込められ、幸せな家庭を築いたこと、そして時が経ち、この家が一つの役割を終えたことへの感謝が溢れていた。


自分もだが、参加した家族は、心が揺れ、涙が溢れ出す。




その後、参加者が、玉串を奉奠する。


ここまで、自分たちを育てていただいたことへ、感謝の気持ちを込めて、また、解体工事の安全祈願を込めて、玉串を捧げる。




祭礼の後、渋谷宮司は、父との思い出を語り出す。


湯殿山神社の遷座、そして神社奉賛会の働きなどを、ひとつひとつの出来事を思い出し、噛み締めながら話してくださったのである。




その後、渋谷宮司は、すべての部屋を回ってくださり、お祓いをしてくださった。


心より、感謝と御礼を申し上げたい。






家にあった生活用品や写真の数々、茶器、掛け軸、絵、釣り竿、家具、着物と洋服類、人形など、専門業者の皆さんから、お手伝いいただき整理をする。

また、会社の関係者からは、ゴールデンウィーク中に、会社で使うものや自宅で使うものを、持って行ってもらった。

また、長年父の秘書をしていた斉藤市議には父の手づくりの釣りの仕掛け、父が愛した釣り竿は、名匠「竿とよ」の娘さんに持って行っていただいた。



自分が住んでいた部屋の窓からの眺めは、あの頃とまったく変わっていない。


千歳山と山形県庁が見える。


瞼を閉じれば、この家での様々な思い出が蘇る。


万感の思いを込めて、自分たち家族が暮らした父と母の家、通称「煉瓦の家」に“ありがとう”と、“さよなら”を伝えたのであった。



元記事:https://ameblo.jp/stokimori/entry-12902504496.html

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